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当時としては画期的で過酷なこの4つの開発条件をもとに、FDB Møblerは1942年にスタートしました。
提唱したのは、デンマーク近代家具の父、コーア・クリント。
彼の意志を継ぎ、後にデンマーク4大家具デザイナーと呼ばれるボーエ・モーエンセンが初代代表を務め、さらに2代目ポール・M・ヴォルタがモーエンセンを越えるヒット商品を生み出していきました。
脈々と受け継がれたコーア・クリントの思い。
FDB Møbler復刻までのものがたりです。
暗くて寒く長い冬がある北欧では、その厳しい自然環境と寄り添いながら、人も自然もお互いが幸せに暮らすにはどうすれば良いかという生活の知恵が長い年月を経て育まれてきました。 北の大地故に資源が少ないため、ものには長く使えるような丈夫さが必須でした。寒いために温かみのある自然素材の使用が求められ、身近な資源である木材を使った製品作りがなされるようになりました。 さらに冬場は室内で過ごす時間が多いために飽きのこないオーガニックでシンプルな形が生まれ、同時に人の心を豊かにしてくれる見た目の美しさも必要だったのです。
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デンマークは「人の生活を守る」意識が非常に高く、そのため世界でも早い段階で、一般大衆の日常生活に寄与するための生活協同組合連合会が生まれました。 国民生活の基盤を守ろうと1866年にクリスチャン・ソンネによって始められたデンマーク生活協同組合連合会(FDB)は、ただ衣食住を保全するだけでなく雇用を生み出し、労働面・賃金面でも国民を守るという考え方を持っています。
インテリア事業の角度からデンマーク国民の生活レベル向上を目指して1942年に誕生したのが、FDBの家具部門=FDB Møblerでした。 丈夫で、美しく、座り心地が良い、このようなデンマークの地勢によって必然的に生まれた物質のあり方、そこに加えて一般の人たちでも手に入れることができる価格帯を実現しなければならない生活協同組合連合会(FDB)の原則がFDB Møblerの真髄を形作っています。
クリントは室内にいる人が自然で機能的に過ごせる環境作り、人の要望に完璧に応えることのできる論理的な形を追求し「人間工学」の研究に注力したデンマークを代表する建築家・デザイナーです。 高品質な素材の使用、高い職人技術、無駄のないシンプルなライン、そしてすでに存在する物をより良いデザインとして完成させるという歴史から学ぶ「リ・デザイン」の考え方を求めました。 また1924年デンマーク王立芸術アカデミーの前身であるデザイン学校の家具学部設立に貢献し、自らも教鞭に立ってハンス・J・ウェグナー、ボーエ・モーエンセンなど次世代デザイナーの育成にも力を注ぎました。 つまりFDB Møblerが掲げた開発条件を実現できる人物は、これらの経験とキャリア、そして人脈を持つクリント以外にいなかったのです。
FDB Møbler設立時、すでに高齢だったクリントは自身の愛弟子ボーエ・モーエンセンに初代代表を任命しました。 1942年から1950年までの間、初代代表を務めたモーエンセンはクリントの教えを忠実に受け継ぎながら、家具構造の簡素化と細部に人の手を必要とする職人技術を追求し続けました。 さらに座面にペーパーコードを採用することで人々に座面張りの仕事を生み出すなど、労働面でもデンマーク国民を守る作品づくりを行ったのです。
モーエンセンは初代代表を退く際、当時まだ無名だった親友のハンス・J・ウェグナーに相談をしました。そしてハンス・オルセンの元で高い能力を発揮していた27歳の若い家具職人ポール・M・ヴォルタに白羽の矢がたったのです。 ヴォルタは1949年にFDB Møblerに入社、翌1950年に2代目代表に就任しました。ヴォルタもクリントからモーエンセンへと継承された「人間工学」「リ・デザイン」をもとに、1950年イギリスのウィンザーチェアからヒントを得たスティックバックチェアJ46を開発しました。 このJ46は85万脚の売上げを誇る大ヒットとなり、FDB Møblerを象徴する商品となりました。当時のデンマーク国民の5人に1人が持っていた計算です。
今でも世界中の人達から愛されている北欧デザインですが、その中でもデンマークは群を抜いて家具を生産し、世界中に輸出してきました。ハンス・J・ウェグナーやアルネ・ヤコブセンなど当時まだ無名だった若手デザイナーたちの多くはコーア・クリントに学び、またFDB Møblerに関わりながら、それぞれのキャリアを積んでいきました。 その後彼らは様々なメーカーから優れた作品を発表し、現在私たちが眼にするデンマークデザインの数々が誕生したのです。 FDB Møblerは人類史上もっとも輝かしい近代家具史の基礎を作り上げたメーカーであると言っても過言ではないのです。
「丈夫で、美しく、座り心地が良い、そして手軽な価格」 当時としては画期的で過酷な開発条件をもとに、FDB Møblerは1942年にスタートしました。
FDBはデンマーク生活協同組合連合会(Fallesforeningen for Danmarks Brugsforeninger)の略称です。 1866年にクリスチャン・ソンネによって始められたこの組織は、一般の人々の日常生活に寄与することを目的にスタートした協同組合です。インテリア事業の角度から消費者の生活レベル向上を目指し、1942年に家具部門が設立されFDB Møblerが誕生しました。
デンマーク近代家具の父と称されるコーア・クリントが監修を担い、初代にボーエ・モーエンセン、2代目にポール・M・ヴォルタが代表を務めました。ハンス・J・ウェグナーやアルネ・ヤコブセンなど名だたるデザイナーがプロジェクトメンバーに名を連ね、数々の名作を世に送り出し、それらはその後に生まれたデンマーク家具の模範となって、今日私たちが目にする数々のデンマークデザインが誕生したのです。
デザイナー達の妥協のない商品開発と職人たちの巧みな技術力、北欧の歴史や地勢によって育まれた文化、その全てが必然を持って混ざり合い誕生したFDB Møblerの家具は、人々の暮らしを支え、デンマーク国民の間に根付いていきました。
デンマーク王立芸術アカデミーの前身であるデザイン学校の家具学部でコーア・クリントに師事。その後も助手としてクリントからデザインを学ぶ。1942年28歳の時にFDB Møblerの初代代表に就任。家具デザインの構造の簡素化と細部に人の手を必要とする職人技術を追求し続けた。「家具は人を幸せにする」を信条に、家具の製造・販売・流通の仕組みを構築し、家具を通して全てのデンマーク国民の生活水準向上に貢献した。
家具職人としての経験とデザインを学んだ知識を生かし、1949年にハンス・J・ウェグナーを介してFDB Møblerに入社。ボーエ・モーエンセンの後を継ぎ、1950年にわずか27歳でFDB Møblerの2代目代表に就任。モダンでシンプル、機能性を第一に掲げた「人々のための家具造り」を基盤としてヴォルタがデザインしたJ46は、当時85万脚の売り上げを記録し、デンマーク国内で最大のヒット商品となった。
1956年よりFDB Møbler3代目代表。家具の職人技術を習得後、王立芸術アカデミーの前身であるデザイン学校の家具部門で研究に従事。生活に即した美的な感覚を形に踏襲し、独特の世界観で個性的な作品を輩出。
1958年FDB Møbler4代目代表に就任。社会繁栄に伴い「民衆の為の家具造り」という同社の哲学にこだわることなく、軽くて頑丈な扱い易い家具、輸送を考慮した組立てや分解が簡単な製品を世に送り出した。
コーア・クリントの弟子でデンマーク家具黄金期の礎を築いた一人。デザインスクールで後進の指導も行った。機能主義を原則とし住宅、家具、テキスタイル、銀製品のデザインや執筆など幅広い分野で活躍。
J46 Poul M. Volther
J48 Poul M. Volther
J52B Borge Mogensen
J52G Borge Mogensen
J67 Ejvind A. Johansson
J80 jorgen baekmark
J81 jorgen baekmark
J52D Borge Mogensen
J82 Jorgen Bakmark
J83 Jorgen Bakmark
book case Mogens Koch
D20 Poul M. Volther
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